流行に乗るオタクと専門家の他者への影響

まとめると、「オタクだろうが、専門家だろうが、意味のない流行りものに乗っかってるだけだと駄目。個人レベルで駄目なだけではなく、市場や研究費を通して熟練者や意味のあることをしてる人に迷惑をかける*1のはみっとも無い。」だろうか。


多くのオタクの性質の一つとして、流行りものに迎合してオタクぶっている「にわか」を蔑視する傾向があると思う。そして、「自分は流行る前から、知ってた。あの頃の方が媚びてなくて良かった」などと言い出すやつが出てくる。これは何でだろう。
その場で例として挙がったのはアニメについて。アニメは動く絵、キャラクタの声、BGMや主題歌、ストーリー、特定の尺にまとめること、などの要素がある。ある程度のレベルのオタクになるなると、個人個人の専門というものが定まってくる。例:声優オタク、作画オタク。しかし、専門が決まっていても、他の専門についてからっきし分からないというわけではない。例:声優オタクでも作画については多少は詳しい/こだわりがあるはず。もしも作画について全くこだわりが無いのなら、声優オタクはアニメの動画部分については全く気にしない。そして、何を専門にしていようが、関わっている時間が長くなってくると、どの専門要素についてもある程度以上詳しくなってくる。そうすると、流行りものに踊らされているだけのにわかオタクの各専門要素についての知識と比べると、どの専門要素についても自分の方が詳しいということになる。
これだけだと、熟練したオタクがにわかオタクを蔑視する必要は無い。しかし大抵、流行に乗っかったばかりのオタクというのは、「〜〜最高」のように狭い視野と極端な評価基準で声を大きくして大勢で闊歩する。このにわかオタクに作り手が迎合して市場が「にわかオタク向けの浅い作品」で埋まるようになってくると、熟練したオタクは迷惑を被るため、熟練オタクはにわかを蔑視する*2。熟練オタクといえども市場は操作出来ないので、しょうがないから「自分は以前から〜」のように愚痴るのだろう。
逆に、自分以外の誰かを(呆れや尊敬をこめて)オタクと言う場合は、大抵の場合、関係する知識を自分以上に持っている場合が多いのでは無いだろうかと想像出来る。専門が違っても凄いと思えるものは凄いし、何よりも人に迷惑をかけていない。

以下、同様の物理ないしは研究版。ちょっと無理矢理かな。
多くの物理学者の性質の一つとして、研究費が取れるからといって流行りものに乗っかって物理的な意義を主張する「にわか」を蔑視する傾向があると思う。そして、「あんなもの、結局物理的には以前のほげほげと本質的には同じだろう」などと言い出すやつが出てくる。
物理学者は自分の専門を持っている。専門はさらに細分化されていて、たとえば物性で相関が効く系と言っても、超伝導や磁性や不純物効果、モデル計算や第一原理計算、試料作りや各種測定のように色んな分野に分けることが出来る。しかし、専門が決まっていても他の専門についてからっきし分からないというわけではない。極端な例だと理論でモデル計算をやるだけで実験について全く知らないでいると対応する物理が分からなくなって迷走してしまう。関わっている時間が長くなってくると、どの専門要素についてはある程度以上は詳しくなってくる。そうすると、流行りものに踊らされているだけのにわか専門家の専門知識と比べると、どの専門要素についても自分の方が詳しく分かっているということになる(本当かな)。
これだけだと、熟練した専門家がにわか専門家を蔑視する必要は無い。しかし大抵、流行に乗っている専門家は研究費を獲得するために自分の関わっている流行を一つの分野として確立させて面白さをアピールしようとする。この時、視野や基準は偏っていくだろう。研究費を与える側がこれに迎合し、学会のセッションも「にわか専門家向けの(多分一過性の)流行分野」で埋まるようになってくると、熟練した専門家は迷惑を被るため、熟練専門家は流行を蔑視する。熟練した専門家といえども、研究費がどこに落ちるかを操作出来ない*3ので、しょうがないから、「あんなもの、結局〜」のように愚痴るのだろう*4
逆に、自分以外の誰かを(呆れや尊敬をこめて)専門家と言う場合は、大抵の場合は、関係する本質的な知識や着眼点を自分以上に持っている場合が多いのでは無いだろうかと想像出来る。専門が違っても、凄いと思えるものは凄いし、何よりも流行を通じて人に迷惑をかけていない。

どちらの場合も、流行を通じて市場や研究費を荒らされることが嫌なのだと思う。いっぱしのオタクだったら、消費する側じゃなくて生み出す側に回るべきだろうとか、流行に負けずに研究費を勝ち取るように、ないしはブレイクスルーと言えるくらいの本質的な流行を作れるような専門家になるべきだ、というのが理想論なんだろうけど…。うーん。少なくとも、流行に乗る場合にはそれが意味のある流行であることをきちんと判断出来る場合にしたいものだ。気をつけたいのはもう一つ。オタクも専門家もどこかで無条件に流行を嫌う性質があると思う。それが流行っているからといって、無条件にアンチ流行として斬り捨てるんじゃなくて、それが意味があるのか無いのかを見極められないといけない。

どうまとめればいいのか分からんけど、多分、流行に振り回されるのは「みっともない」と思う。専門家もオタクも、人に迷惑もかけずみっともないことをせずに自分の道を進んでいく人が、尊敬されるような人に尊敬されるのだと思う(そうあって欲しい)。

*1:オタクの場合は流行に乗ってコンテンツの分布を荒らすことが問題で、専門家の場合には流行に乗っただけの薄いコンテンツが影響のある雑誌を埋めて研究費をぶんどっていくのが問題

*2:ニコニコ動画で流行りものがランキングを埋め尽くし、良い動画が埋もれるのを嫌うが故にアンチ流行りなコメントが出てくるのも同様かな。

*3:恐ろしく中立的で、流行に流されないような人が研究費を全てコントロール出来るのなら良いけど、そういう人を仮定するのはナンセンスだなぁ。

*4:「流行に乗ってるだけで大したことが無い上っ面だけ綺麗な論文」がPRLやらNatureやScienceのようなインパクトファクタの強い雑誌に乗ることを嘆く声も割と良く聴く。