人生はゲームの極限として記述可能か

人生は神ゲー*1だ、いや糞ゲーだ、そもそも神ゲーでも糞ゲーでも無い…という記述を散見。「人生は神ゲーでも糞ゲーでもない」というのに対して、神だとか糞だとかそこまで極端なことは言わなくてもいい*2。ただ、「ゲーム」として記述出来ないとは言い切れず、そういった見方をすることは意味があり得るのではないかと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20070303100408
http://xinsuhai.seesaa.net/article/35320934.html
http://anond.hatelabo.jp/20070304023650
一つ目、自分の周りのものと自分との関係について。

総じて、自分の周りに存在している事物を、自分と関連づけて考えすぎです。総じて、自分の周りに存在している事物を、自分と関連づけて考えすぎです。

これは「人生は神ゲーでも糞ゲーでもない」から引用。しかし、自分の周りに存在しているものは、自分の周りに存在しているという形で自分と関連付けられていると思う*3。だから、自分の人生をゲームを見立てるのならばその主人公はどうやったって自分。「世界の中心って自分でしょう?」のような良く聞く話と同じ。その主人公がヒーローやヒロインのごとく活躍できるかなんてのは今は議論してない。
二つ目。「人生は神ゲーだ」は箇条書きの形で書かれている。これら一つ一つを神ゲーである人生というものを特徴付けるものとして考えるならば、それら一つ一つの要素について何かしらのコメントをつけていくことで、ある一つの人生を十分良く記述できたりはしないか*4?十分良く記述が出来れば、それを指針として現実を切り開いていくことが出来ても良い。これは、たとえば自分が今「どこ」にいるかということを把握するということが、次に「どこ」に進もうとするかという指針になり得るのでは無いかということ*5
三つ目、ゲームと不条理について。

あらかじめ念入りに調整されたゲームとは全然違います。人生は神ゲーでも糞ゲーでもありません。

「人生は神ゲーでも糞ゲーでもない」ではゲームの特徴として念入りに調整されたことや、そうであるがゆえに不条理も幸運も含まれていないかのごとく書かれている。ゲームは良く調整されていて欲しいとは思うものの、それがゲームをゲームたらしめているとは思わない。不条理だって幸運だってゲームには存在する。

説明書が無く、仕様が明かされてないから、自分でデータとって仕様を推測するしかない。これがまたとんでもなく高度に洗練された仕様になってるっぽくて、なかなか正確には分からん。だから、とりあえず大雑把に推定し、それに基づいて行動して、データを取りつつ徐々に予測値を修正していく必要がある。これがまた楽しい。徐々に明らかになっていく世界観。

分からない仕様が幾つも重なったらそれは不条理と大差無いだろうし、そもそも乱数のどこに理があるというのか*6。サイコロを100個と言わず5個くらい振って全部1が出るケースなんてそうそうあるわけじゃないけれど、それは万と言った回数振れば起きてもおかしくはなくて、でもそれはあまりにレアなケースだから不条理と感じてしまうのかもしれない。場合によってはそもそもサイコロを振らせてもらえないこともあるだろうし、サイコロでせっかく出た目を無視されることだってあるだろう。これはゲームだったらバグに相当するのかな。いくら調整した所でバグは無くならない。
四つ目、ゲームを真摯にやるということ。これはあまり書いてもしょうがない気がするから短めに。ゲームを真摯にやるか不真面目にやるか穿った視点で見ながらやるかということは、ゲームの特徴というよりはゲームをやる側の問題*7
まとめ。人生は次のような点でゲームの延長のようなものとして記述出来得るのではないか*8。人生の主人公は自分。ゲームを評価する際にポイントとなる点をつらつらと挙げていく。そのポイントを人生に関して書き出すことで、自分がどのような状態にあるかということを理解することが出来るならば、それらは人生を生き抜く指針を決める上で役に立ち得るだろう。人生にもゲームにも不条理や幸運はあるけど、どのみちそれらに対する自分の態度というものが重要になってくる。

*1:幸福だから神ゲー…のようなものではなく、色んなもの、不条理なども含めつつ精巧なバランスで成り立っているという点で神なのでしょう。

*2:すぐに極端に考えるのは良く無い。中にはhttp://anond.hatelabo.jp/20070303115312に代表されるように、考えざるを得ない人もいるだろうけど。

*3:気分としては局所座標系。

*4:もちろん、「人生は神ゲーだ」に含まれるポイントの数はあまりにも少ない。

*5:つまり、箇条書きの一つ一つを「人生空間」における「基底ベクトル」だと思った時、「人生状態」を記述するためのセットとして完全系をなしているのかな…?と思った訳。物理量の固有ベクトルが完全系をなしているからこそ、あんな形に量子力学を書こうと出来る訳だよね。

*6:必死にゲームの乱数発生に関わっている方々、ごめんなさい。…もしくは喜んでもらえるのかな?

*7:脱線。僕はてきとーにゲームをするのは好きではないし、やるからには楽しめるだけ楽しみたい。

*8:ここまで読んで「人生はゲームなんかじゃない!」と言う人には、「人生はゲームに等しい」とは言っていない、もしくは「貴方は心底真面目or真摯にゲームをやったことがあるのかと言いたい。