私の身体は頭がいい
- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2007/09/04
- メディア: 文庫
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以下、ネットに繋がってない所をtwitter的にとったメモ。
- 「人間は自由であるときにこそ、その宿命を知る」
- 天運と税金:すごく前向きな発想法
- 「斬る対象がある」という事実がりきみを生んで、力を殺ぐ→剣道の授業だったか、どこで聴いたかは忘れたけど、斬るんじゃなくて斬り抜く、突くんじゃなくて突き通すのが大事というのを思い出した。多くの場合、対象に集中してしまうのを逆にとって、相手のパンチを受ける時に敢えて前に出るのも同じかな?
- 合気道にも剣があるというのにそもそもびっくりしたが、以前見た太極拳の式のリストにも剣などの武具があった。
- 剣を振れる環境は近くにないし、剣を持っているわけではないのだけど、振るつながりで知覚にバッティングセンターがあることを思い出した。
- 非中枢的な身体:運動だけがあって反省のない身体→起こりや居着きがない理想のモデル。例として操り人形やかかし。
- 「極意にかぶれる」ことへの警句。これは武道に限った話ではない。
- 「無拍子的」な動きの会得が一つの目安
- 意味→居着き→抵抗、無意味→最速?
- 序破急:拍の分かりやすい序が、破を経て無拍子な急へ
- 私の身体は頭がいい:頭が理解出来ないことでも身体が理解できる
- コミュニケーション感度
- 一を聴いて十を知る
- もう聞こえなくなった音がまだ聞こえ、まだ聞こえない音がもう聞こえる
- 自分の荷物の重みは、その人が「他人の荷物を担ぐ」という決断をした瞬間に消える
- 広場に大勢の人が集まって、荷物を投げ出し、皆自由に荷物を持って帰ることをしたら、結局みんな自分の荷物を持って帰ったという話を思い出した。他人の荷物の他人というのは、荷物をいったん降ろした後の自分であってもよいのかもしれない。
- レスペクトとミッション
- コヒーレントにすること:拍子を揃えること
- 肌理を細かくする。身体を割る。
- 弟子を「師そのものではなく、師が欲望するものを欲望する」存在として定義するならば、意思を尊重してやりたいことをやらせる人は師にはなりにくいものなのだと思う。