やりたいことをやりたい学生と、自分がやりたいことをさせたい教員

一般に「出来る学生」の方が自分で興味を広く/深く持ち、先生の言いなりにならずに色んな研究をしたがるのだと思う。これはある種相補的になっていて、先生の言いなりになるしか出来ない学生は多分「出来ない学生」なのだとも思う。
ただ、どんな学生もとりあえず先生から与えられた仕事をこなしてみるというのは、一つ確固とした視点や道具立てを得るためには重要。自分のやりたい研究をやれば言いなりにはならずに済むけど、その場合、先生からの的確なアドバイスを期待するのは無理になる。教授と言えども、そして専門に近い分野の話についてであっても、質問に対して10割の確率で正答を返すなんてことは無茶な話。つか、10割で正答が返せるようだったら、それは研究としてもう終わっているわけだ。未だ知られていない部分の内容についてであっても、専門に近い分野の質問についてだったら、適当な割合で正答を返すことが出来るから、教授は凄い。専門分野についての質問であっても間違いがつきものなのだから、専門と違うことだったら間違いの方が圧倒的に多いなんてのは当たり前。的確なアドバイスを期待するのは過剰な期待であると思う。
ここまでは学生側の話。
逆に教員側としては、出来れば自分の興味のスペクトルの範囲内にある仕事や、自分がアドバイス可能な仕事を学生にやらせたいと思う…のだと思う*1*2。「出来る」あまりに自分のカバー/フォロー可能な範囲を越えた学生が手元にいると、あまり面白く無いのかもしれない。ただ、その手の自由奔放な言うことを聴かない学生…では無い学生を手元に置こうとすると、その学生に「出来る」ことを要求するのは無茶だ。だから、言いなりになる、そしてかつ、出来る学生を欲しがるというのはどうかと思う。都合が良すぎる気がするし、なんだか生物系のドクター使い捨てを彷彿とさせる*3。興味のスペクトルがぴったり一致すれば、先生の言いなりになるような出来る学生というのが居てもおかしくはないけど、それはとてもレアケースだと思うし、劣化コピーを作成しているのとあまり変わらない気がする。
まとめて、かつちょっとジャンプすると、
1:学生は道具じゃない。学生に自分の手足の延長程度のことしかさせなければ、それは劣化コピーを作るのと変わらない。それだったら自分でやってしまえばいい*4
2:先生は万能じゃない。先生から盗めるものがあるなら盗んだ方が良いけど、わざわざ教えてくれるという機会があるならそれを活用しない手は無い。そのためだったらやりたいことを一旦我慢するというのはありだ。

*1:アドバイスを全くせずに、論文にも赤とか全く入れなかった教授だか准教授の元にいたどこぞの博士課程の学生が自殺したというニュースが最近あったのを思い出した

*2:興味のスペクトルが広い先生だったら、どんな学生でもその深い懐に納めてしまうのかもしれない。

*3:関連する話として、大学院の5年間を言いなりになり続けて学位だけ何とか取ってしまった学生を採用した企業が、それらの博士の使えなさにショックを受けて博士枠を減らしたなんて話を聴く。

*4:だから、学生なんて来なくて良い、と断言するような先生もいると聴く。