問題に対する方法論とその教え方

0. イントロ
精神論、根性論は本当に最低
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51304949.html
という2chコピペblog*1を見てふと思ったこと。

ここで精神論を否定する人の考えも分かるけど、だからといって他に万能なナントカ論というのがあるわけではないと思う。常にあるやり方を使い続けるのも良く無いし、極端な考えも良く無い。まぁ、不適当なやり方を選んで馬鹿を見るのは自業自得だが、誰かに教えることを考える時には問題の対処論(広い意味で方法論)について真面目に考えないのはいけない。

1. 問題に対処する方法の選び方
精神論*2と非精神論のどちらかしか選べないとする。ある一つの問題に対処するためには、精神論的アプローチか非精神論的アプローチのどちらかを取る必要があるが、どっちか一方のアプローチの方が良いアプローチのはずだ*3

常に精神論と非精神論のどちらかしか選べないとする。ある問題を一つ用意した時、精神論的アプローチか非精神論的アプローチのどちらかの方が良いアプローチになる。問題が複数有る時、どちらのアプローチを取る方が良いのかは、問題の集まりの性質による。精神論でやりやすい問題の方が多ければ精神論的アプローチが良いだろうし、非精神論でやりやすい問題の方が多ければ、非精神論的アプローチが良い。

常に精神論を選ぶ、常に非精神論を選ぶ、状況に応じて精神論か非精神論のどちらかを選ぶという三つのアプローチを考えるとする。三つのやり方をそれぞれ方法1,2,3と呼ぶと、精神論でやりやすい問題に対しては方法1,3のどちらかを選ぶのが正解であり、このとき方法2を選ぶのは良く無い。非精神論でやりやすい問題に対しては方法2,3のどちらかを選ぶのが正解であり、このとき方法3を選ぶのは良く無い。三つのアプローチで色んな問題に対処する場合、問題の集まりがどのような性質であったとしても、方法3が一番良いことになる。

常に、極端な精神論とそんなに極端ではない精神論のどちらかしか選べないとする。いくつかの問題に対処するとする。極端な精神論の方が有利なのは、問題自体が精神論に特化している時なので、一般には極端ではない精神論の方が良いはずだ。同じことは極端な非精神論と極端ではない非精神論の間にも言える。どんな場合にも極端な方法論/論者は良く無いと思う。

2. 問題に対処する方法の教え方
問題対処の経験が豊富な「経験者」が経験が浅い「未熟者」に、問題対処の仕方を教えることを考える。方法1,2,3のうち、方法1,2は未熟者に対しても教えやすい。理由はアプローチとしては単純であるから。方法3は未熟者に対しては教えにくい。理由は対処すべき問題の性質を見極める必要があり、方法3を教えるというのは臨機応変に答えそのものを教えることに相当するから。このため、経験者が未熟者に問題対処の方法を教える時には方法3ではなく、方法1または方法2を教えることになる。

経験者が主に方法1が得意な場合には、未熟者にも方法1を薦める。これは良い。ただし、対処すべき問題に対してあまりに方法1が良く無い時には、経験者は未熟者に「例外的に」方法2を取ることを薦める。これも良い。問題があるのは次の場合である。経験者の頭が固くて教えるのが下手な場合には経験者は例外を許さないため*4、未熟者側は例外が全く許されないことに文句を言う。経験者が、例外を許した理由について未熟者を納得させられない場合には、未熟者側は例外が許されるタイミングが分からずに混乱してしまうことに文句を言う。文句を言える場合はまだ良くて、経験者が酷い場合には文句すら言わせない*5。先に挙げたスレッドの1が怒るのは、「経験者が未熟or酷い」または「未熟者が『甘えている*6な経験者なんてどこを探してもそうそう居ないとおもう。))』」からだろう。

良い教え方としてすぐに思いつくのは、「多量の問題を処理するのにつきあって、未熟者が『例外処理』を出来るだけの経験を十分積むまで面倒を見る」というもの。このメリットは、経験者の経験が十分ならば時間さえかければ*7十分に教育が出来ることにあることだが、デメリットは未熟者一人に取られる経験者の時間が長くなってしまうということ。基本的に(問題処理の観点からは)経験者の時間の方が貴重だから、経験者にとっては短期的にはあまり良い教え方ではない。このため、経験者にとっても未熟者にとってもそこそこ(時間的に)良い方法として、ほとんど常に方法1か2の一方を取らせる。こうすると、例外処理やそれに関するフォローが少なくなるため理不尽な点が増えてしまうけど、でもまぁしょうがない。

あともう一つ思いついたのは、「臨機応変な方針」は説得力が無いということ。それが出来るくらいなら苦労はしないわけだし、何よりも複雑だ。単純で分かりやすい方が説得力もあるし受けも良い*8。ただ、だからといって自分のとっていない方法を否定するのは良く無いし*9、説得力がなかったとしても方法3を笑うのは道理が通ってないと思う(←感情的にはこれを言いたい)*10

3. 例
問題に対処する方法の選び方では特に精神論と非精神論を方法1,2としたが、別にこれは精神論に限った話ではない。広い意味や狭い意味で問題処理のアプローチを二つ*11挙げられる時に同様の話が出来ると思う。「1. 問題に対処する方法の選び方」をもっとコンパクトにすればちょっとしたコピペに出来るんじゃないかね。二つの方法の例としては、

  • 高校物理の力学で「運動方程式/力の釣り合い」or「力学的エネルギー保存則などの保存則」*12
  • 大学以降の物理で「第一原理/分子動力学」と「現象論/熱力学」
  • 文献管理のやり方で「図書館的分類」と「タグ的分類」
  • 選択肢を選ぶ問題で「消去法」と「非消去法(直接法とでも言うのだろうか)」
  • 居酒屋の注文で「誰か一人が完全にしきる/コースで頼む」or「全員の意見を取り入れながら一品一品頼む」
  • RPGの戦闘で「たたかう縛り」と「じゅもん縛り」

などなど。

4. まとめ
いくつかの方法から一つしか選ばないのは最適ではないが、経験者が未熟者に教えることを考えるとどれかに大きく偏るのはしょうがない。この時、不可避で理不尽なことは多少〜多々生じるだろうが、この理不尽さに対して文句を言うのは理想にすがった甘えだ。
経験者側は理不尽さを減らした方が良い。未熟者側は不可避で理不尽なことがあることを理解すべき…と言いたいけど、それは多分難しい。理不尽さに文句を付けるのは良いけど、不可避な理不尽さにまで文句を言ってると「最近の若い者は…」と言われてもしょうがない…くらいのことしか言えないか。

*1:内容は1年半前のものだけど、古くはないだろう。

*2:精神論はそれ自体はある種合理的な一つな方法だと思う。極端な精神論はアウトだが、それはどんな方法論でも同じ。

*3:どっちもどっちならば、どっちを選んでも良い。

*4:自分が問題を対処する時には例外を使うのに…。

*5:そもそも常に方法1,2のいずれか一方のみを押し付けるということすらある種の強制だ。

*6:精神論的な意味ではない。未熟者が経験者から何かを教わる時、多かれ少なかれ理不尽なことがあるのは仕様がないこと。そもそも、正解をいきなり与えられることであっても、それは理不尽には違いない。ここで言う甘えているとは、理不尽なことが(一切/あまり)無いと思うこと。普通の意味からはかなり外れる。ついでに言うならば、どう見ても経験十分((未熟者のレベルに対して。

*7:未熟者と相性の良い方法が絶望的に経験者の得意な方法と異なる場合で無ければ。

*8:分かりやすい方針の方が楽だ。

*9:いかなる例外処理を入れても解決出来ない問題が多数あるようなやり方なら話は別だが

*10:未熟者の方法3は確かに笑えるかもしれないが、時間がたっぷりあるなら有りだと思う。

*11:ないしは、一般にN個。

*12:物理量の時間依存性を見たい時やそもそも時間依存性が無い時は前者、物理量がどのように変化するかはどうでも良いからある時点での物理量の一方が分かっている時に他方が知りたい時は後者。