"Do not google!"

googleは大事だけど、すぐにgoogleに頼って思考を放棄するような偏重が生じるのならばそれは良く無い…」と思っていたらそういう記事を散見するようになった。実際に思考放棄する例が多く見られるようになったということか?因果関係を示すのは難しいと思うけど、実際はどうなんだろう。
ふと、藤原正彦国家の品格に「国際時代だから英語が大事→国語や人間としての中身や教養よりもとにかく英語→実際に外国に出て行って中身の無い所を暴露」というのは良く無いというような批判がされていたのを思い出した。国語&教養と国際人としての英語能力を秤にかけるのは間違いで、前者があって初めて後者が問題になる。
このアナロジーで言うならば、「インターネット時代だからgoogleなどの検索をつかいこなすことが大事→分からない事があるなら考えるよりもまずはぐぐれ→ぐぐっても答えが見つからないような問題にぶちあたったときに考える事が出来ないことを暴露する」という流れになる。外国に対応するものは社会だろうか。国語と教養をおろそかにしても「海外旅行の恥はかきすて」で済むかもしれないが、考える事をおろそかにしていると社会に出てから「詰む」可能性があると思う。
ところで、こういう意見のタイトルとして、「Do not〜」とか「〜してはいけない」というのは極端で好きではない。実際は真ん中or中庸が大事なのだし。まぁ、極端なくらいの意見の方が分かりやすくインパクトも有る…というのは分かるけど、分かりやすければどうでも良いのかとも思う。