院試でゆらゆら

mixiからコピペ&編集。
自分の共同体の境界外にあるものを気持ち悪いとするとレヴィストロースを引用して書いていたのはnucだった。分からなくも無いけれど、その中で全く考えず理解しようともせずただ今の自分の共同体の外に有るが故に「きもい」「うざい」として枠の外に閉め出す生き方はどうにも好きになれない。
そんなことを言ったら「考えて分かることが出来るような強い人だからそんなことが言えるんだ」というようなことを言われたことがある。自分を強くないと決めつけてはいないかと反論したかったが、確かに自分を守るために枠の外に出すという生き方は有りなんだろうとは思った覚えがある。 自分も少なからず枠を決めているし(そうでなければ拡散してどっかに行ってしまいそう)、あまり人のことは言えないのだけれども、枠があるということを積極的に口に出したくはない訳だ。言霊と言いますか。アニミズムとか心の在り方とか言う問題を持ち出すまでも無く、自己暗示の一種になってしまうのではないかときっと思っている。
ここら辺で色々飛躍。枠を強く決めて閉め出せば、何も考えないが故に迷わずただ突き進むことは出来る。けれども、考え迷い試行錯誤の上に決断をしていく方が、つらく難しいとは思うけれども良い結果が出ると信じている。枠を決めれば枠の中でしか動けないような気もする *1。自分の優柔不断を弁護するために作った理論武装ですかと言われてもしょうがない気がするけど、自分の優柔不断さを弁護するつもりはない。決めることも出来ずにどうしようもなくこう在るのでは無く、多分ある種のポリシーめいたものが有って*2こう在るつもりである*3
ただ、それでもきちんと決めなければいけない場合がある。院試の研究室決めはその一例。最初から研究室を決め打ちするのは上で言う所の決めつけに思える。決めるからには全力で迷って全力できちんと決めたい…と思ったのが五月祭直後。あれからすでに3週間が経ち、願書の出願まで3週間を切ってしまっている。思えば中学入試に大学入試に進学振り分けなど、競争のようなものを何度か突破してきているけど、それが競争なのだと未だに実感出来ていない(一度競争に負けているのに)。適当に歩いていたら通過していたか、もしくは打ち勝つべき相手として見えているのが自分だけだったというのがこれまで。 競争を実感出来ていないからか、特定ないしは不特定少数の相手に打ち勝つようなイメージがあまり持てていない。「でも、全員突き落としてでも押し通るつもりだから、すまんね。 」なんていうO君のようなことを実感を持って*4すらっと言うなんてほど遠い。
迷いに迷った結果として研究室の希望はほぼ固まりつつあり、モチベーションも悪く無い、むしろ良い。自分の希望は通したいのだが、今回は自分だけ見ていれば良いというわけではないような気がした。研究室の枠は大抵2(たまに3)なので、3人が第一志望でぶつかるようなケースがある場合、たとえ99%の点数を取ったとしても落ちる可能性はあるわけだ。残りの二人が100%取り、それ以外の条件が同じなら落とされるのは自分。 しかし「100%の点数を取るように」勉強すると決めて実行出来れば理論上は他の人なんてどうでも良い訳だが、現実的な問題としてはどうだろうか。「たまには他の人を蹴散らすつもりでやってみるか。積極的に自分の希望を通す機会としては最後になるかもしれないのだから。 」とも思ったが、そう思った所で自分の院試勉強を頑張る以上のことをするとは思えない。今の僕の状況を分析して「覚悟をしたのでは」と言われたが、こんなもんは覚悟のうちに入らないのではないかとも思っている。
結局の所、ベストな選択をしているつもりだけどそれがベストかどうか結果が出ていないから分からないという、ただそれだけのことかもしれない。甘えてるんじゃないと怒られそうな悩みである。でも「このように勉強すればあとは実行するだけで間違いなく受かる」ようなレベルで見通しがついてしまうと逆にやる気がなくなってしまうのでこの程度が良いのかな。

*1:同じようなことは他人との間の枠どうこうだけではなく、適当なstatementを強く信じ込むかどうかという話にも適用できないかな。決めつけるのは良くない。

*2:量子力学とか非平衡とかゆらぎとか。ほら、平均場近似ってつまらないじゃないですか?多分こんな感じでポリシーに合っているんじゃないかな。何か特定のものに確定してなさそうな感じが。ゆらぎとか相互作用とか大歓迎。低次元にすればゆらぎは大きくなる。けれど1次元だと厳密に解けたりする。飛躍するけど、やっぱ2次元が良いのかもしれない。

*3:その変なポリシーがあるからそれ以外の在り方が難しいと思えば外から見れば同一視入りそうだけれど。

*4:持っているかどうかは分からないが、端から見て持っているように見えているのだから、見えていれば良いと考える。