教養とは何か

さらっと流してとあったのと、コメントするにはちょっと長くなりそうなのでここで書く事にする。
教養とは何か。ここでは「教養とは個人が体得してきたものが他の人から見えるように体現・表現されたものである」とする。
などとはじめて思いつく事を色々と書こうと思ったら、Googleでのヒット数が「教養 文学」<「教養 アニメ」だと分かった時点で何かが吹っ飛んでしまって何を書こうとしていたか忘れてしまった。しかしまぁ、自分の主張に対立する物ではない(むしろ支持してもらえそうだ)ので良しとする。
そして、「文学とかクラシックはお高くとまっているかのようなイメージを持たれてしまっている点でイメージ戦略失敗しているけれど、気軽に聞いて楽しめば良い。色んな文化に触れるのは良い事なのではないかな」…と書いてみて、偏食家でいつもカレー・ラーメン・スパゲティばかり食べてるやつが言っても説得力が無いことに気づいた。

ちなみに教養っぽいものとされている感のあるクラシックと文学では、「第九」トッカータとフーガ*1」「四季の夏の第三楽章」「月光」、「こころ」「老人と海」あたりは好きである。指揮者・演奏者の名前はあまり良く知らないのだけど、「この演奏者(指揮者)のは好かない」なんて生意気なことは思ったりする。クラシックよりもジャズのが好きだけど、でもジャズの曲名やアーティスト名を多く知っている訳では無い。ここで「アーティスト名とか曲名を知っていることはそれが教養であるための必要条件では無いと思う」とか言っても自己弁護にしか見えないだろうか。

始めに教養を定義してみておきながらなんだけど、結局教養っぽいとされているものって何なんでしょうね。
あと、世間で言う教養っぽいものって「知っていると望ましいもの」のように思えるのは僕だけか?

そういやビートルズって教養っぽい?ビートルズがそうならローリングストーンズもそう?以下略。

物理だったら力学でGoldstein、熱力学でFermi、電磁気学でJackson、量子力學でDirac*2は読んで教養とすべきものであると言いたい所であるが、これはどうだろう。ちょっと極端な発言かもしれない。ちなみに僕はGoldsteinもJacksonも立ち読みしかしたことない。

このノリで書き続けると、かってに改蔵or絶望先生的に羅列することになる。とりあえずここらで止めておくけど、何かあったらコメント歓迎。

*1:鼻から牛乳のやつである。

*2:続けるなら、場の量子論ならPeskin/Weinberg、超弦ならPolchinski、相対論ならGRAVITATION/Landau、物性だったらAnderson…とか続くのか?単に癖の強い本を並べているだけな気もする。