非可換

「〜だけ」なんて突き放したような言い方があるけれど、あれってなんなんだろう。事実を述べているだけなのに何か見下していているようなニュアンスがある。
「順序が違うだけ」と括れる(同型になる)ようなものはやっぱりそれの最たるもののような。

  • 回れ右してから歩くor歩いてから回れ右。
  • 信号を見てから横断歩道を渡るor横断歩道を渡ってから信号を見る。
  • お湯を入れてからインスタントラーメンを食べるorインスタントラーメンを食べてからお湯を入れる。
  • バニシュ&デスorデス&バニシュ。

順序とか関係性って大事だと思うんだけど。
なんなんだろう。順序を変えるだけというのは簡単なことだと思う人がそういう突き放し方をするのか
突き放した言い方と言えばもう一つ。「それは〜(人名)である必要が無い」というのもナンセンスかなと。相対論を見つけたのはアインシュタインである必要は無くて別にアインシュタインがいなくても誰かが見つけた、という話から、小説の登場人物が〜である必要は無い、という話まで。そこまで言うんだったら別に誰が誰だって自分が直接レスポンスを受け取れるような人を対象とするので無い限り関係無い。名前を変えて、着目したい局面において同じ選択をするようなキャラクターを与えればそれで可換。可換なキャラクターの中から他でもないその人が選択された*1とするならば、その選択自体が評価されるべきだと思う。
とかくナンセンスな批判は多い。気分を害するだけというか。まぁ、気分を害させるという点では十分意味あるんだけど。

*1:この選択をしたのが神様だ、なんて議論は好きじゃないけど。自然と選択された…のようなものを定義してしまえばそれで良い。