強制突入自己分析

とある日記を見て。
自分が持っているor持っていた、と自分が思っている自分の短所・嫌な所(評価基準は自分だけど)を持っているように思われる他人の存在。他人の振りみて我が振り直せ的な活用方法はあるんだけど、それは自分の嫌な所にわざわざメスを入れるようなもの。痛かったりムカついたりする。苛々する原因は、昔の自分、つまり取り返しの付かないことが目の前に顕在化しているように見えることだろうな。

  • ある個人の性質として、対立すると思われるような二つの性質を同時に持ち合わせているなんていうことは良く有ることで、その一方の性質が気に食わないからといってもう片方の性質に極端に偏るのは何と言うかバランスが悪い。簡単な基準を設けてor簡単な基準にのっかって物事を把握しようとすればそれは楽だろうけど、それだと物事のごくわずかな部分しか見えてこない気がする。
  • 自分が採用している基準である集団を評価しようとして、たとえばその集団を悪く評価したとする。でも、その集団の基準からしてみれば自分が同じように悪いと評価されるかもしれない。第三者から見たら五十歩百歩かもしれないが、どちらかが圧倒的にダメかもしれない。自分の基準というのは大事なものかもしれないが、それだけを絶対視するというのはどうだろう。

一つ目が重ね合わせの原理で二つ目が相対性原理*1…なんて言い始めるとトンデモ系の本が書けるかもしれんが。しかも両方とも入れ子構造的にジレンマ。ま、最適解なんて無いのだろうからそれで良いのだけど。
苛々した対象はおそらくこのBlogを読んでいないのだろうと推測される。そして、これを読んだとしてもおそらく僕の基準からすれば改善されるとは思われない。改善されるとは思われない、と思わせる性質自体が苛々する対象であるから。
ちなみに適当な自己分析。参考程度にすべきなのは言うまでも無い。本人を見る機会がある人でもしも参考にしたい人がいる場合には、この分析を見て本人を見て、フィードバックを入れて分析を見て本人を見て…の繰り返しをすると良いと思われる。…収束する保証は無いけれど。

  • 負けず嫌いで世間知らず。
  • 理想主義者かと思いきや、妙に現実的な所も。
  • 快楽主義者な面も持ちつつ、明らかに快楽とは言えないようなもの(面倒な規律とかはここに入るかな)を重んじるような所がある。
  • 限界を勝手に決めて諦めるのは嫌がるくせに、やたらと見切るのが早いこともある。
  • 嫌だと思うこと自体が嫌。短所よりも先に長所を見たがる。
  • 筋が通っていればそれで良しとする所がある。
  • 人に計算してボケたと思われている所では実は素のボケ。計算してボケるとボケ自体に気づかれない。
  • カレー好きだが福神漬けは嫌い。

*1:最小作用の原理とか相補性原理とか熱力学第2法則に相当するようなものないでしょうかね(笑)