標準語2

昨日の続きのような。
言いたかったことを確認すると、「『標準語(ないしはそれに近い言葉)を喋る人は、方言の持つ訛をうつされやすい』という主張があるとするなら、それは標準語が真っ白だからというわけではなくて、方言の方がより日本語として(もしくは言語として)洗練されているから。特に洗練されているように思えるのは関西弁。」ということを言いたかった。昨日のスーツ云々のたとえは良く無い。相手の喋っている言語を意識的or無意識に羨ましく思うかか大事か。
標準語からのずれが大きい日本語がある時に、それがたとえば地方差によるものか、それ以外の差によるものかは、完璧な標準語しか分からない人には他に情報を与えられなければ区別できない。分かるのは標準語とは違うということだけ。
標準語からのずれの原因として挙げられるのは、ある集団内の共通言語として成立する言い回し。(ここで成立するというのは当たり前に通じるくらいの意味。当たり前とかいうのは曖昧も良い所だけれどとりあえずは。)それがある地方の中で通じるものなら方言と呼ばれるし、ある年代の内部で通じるものならたとえばstudent slangと呼ばれる。ある学問を研究する集団内で通じるなら専門用語や専門的な言い回しと呼ばれる。2ch語なんていうのも2chに書き込む人の集団の言い回し。
ずれの大きさは、ある日本語を標準語と比較して、標準語のxという言い回しはある日本語ではyと言われている…などのように相違点を数えていって、その数が大きいほど標準語からのずれが大きいとすれば良い。実際は標準語と一対一対応をつけることはできないだろうから、対応をつけることのできない元の数も反映させなければならないだろうけど。
ある集団っていうのを考える時に、この集団の大きさが大きければ大きいほど、共通言語としての言い回しがきちんと共通のものになるまでの緩和時間のようなものは大きくなると考えられる。ここで一つ仮定したいのは、「緩和時間が大きな共通言語の方が、それが共通のものになった時の洗練された度合いは大きくなる」ということ。言語が洗練されていれば洗練されているほど、洗練されていない言語を喋る人にとっては羨ましく見える。一番大きな集団はおそらくある地方内の人の集団。とすると、一番洗練されているように見える共通言語は方言と言えるので、方言を羨ましく思うのではないか。
しかし、この流れで行くなら、日本のどの地方をとってきたとしてもそこにはその地方の大きさに対応した緩和時間に対応した洗練度の方言が存在するから、どの地方の個人であっても他の地方の方言を羨ましくなんて思わないんじゃない?という疑問が出てくる。それは東京やその近辺に住む人が標準語に「汚染」されているからだと思えば良いかと。そもそも標準語って言葉に地方差があってコミュニケーションが困難だったから、政治を行う上で共通言語を作ろうと明治の中頃に制定したもののはず。政府が東京にあったからその付近に半ば強制的に広めさせられたものだし。*1
まぁ標準語が制定されたのがいつだっけと思い返してみて、言葉の洗練度が緩和時間の単調増加関数ならば、方言の方が洗練されてるっていうのは当たり前か。そんな中で特に一番洗練されているのは?と思えば、それは京都の近く(長い間使われている方が洗練しそう)→関西弁という流れは一応出来る。
ただ、これだけで「関西弁イズベスト」なんて発言をするのは良く無いとは思うので主張としては弱いけど。集団の大きさだけで言語の性質が分かるというのは言い過ぎだと思うし。たとえば、ある地方を考えた時、そこの地形や気候といったものがそこに住む人の気性や地域性に影響を与えると考えている。気候・地形が異なれば食料の手に入りやすさは違うので、それは気性に影響を与えると思われる。地形の関係でコミュニティが出来るとしても小さなものが点々としか出来ないような地域があるなら、それも影響を与えそうetcetc。言葉が洗練されやすい気性・地域性というのがあるとするなら、それに対応する地域の方言は洗練されていると期待できる。


魅力的に見えるのだとしても、ブームにして食い散らかすのはどうかと思う。下手な方言を無理矢理使うのは格好悪いし。
↓“方言ブーム”とです。 響き新鮮、想像する楽しみ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050918-00000002-san-soci

*1:こう思うと標準語がスーツっていうのもあながち的外れじゃないのかな。元は政治の分野で入り用になったわけだし。