無駄を削る方法の限界

疲れ切っている。朝から体が重く、思いっきり寝坊をしてしまった。
バイト先のF先生と久しぶりに少しまとまった時間(といっても10分くらいだけど)、話をした。闘病生活中のようで、痩せ細ってしまっていた。かなりショックである。治すことは難しいらしく、悪化させないのが精一杯らしい。これ以上悪くならないことを祈る。
バイト。プログラム改善とtex打ち。
下流指向」を読んだ。面白い。薄い割にボリュームがあるように感じるのは綺麗な筋が一本通っているからだろう。無時間の扱いの限界や歪みのような記述を見て、色んなものを連想せずに居られなかった。
R君と仕分けについて話をした。かなり一般的に広げた話をした。変えれば良い、新しい事をすれば良い、というのは間違っているというのが僕の考えだ。帰ってみてから、そもそも仕分けの俎上に上がる案件が非常に偏っていることに気づく。これは、縮減/削減ありきでやっているだけではなくて、ただ制度的に切りやすい所を選んで来ている気がする。近道を進もうとして崖から転落するような絵が想像されてならない。
fortranコンパイラによっては変数の値の初期化をさぼると酷いことになるようだ。
digamma関数のfortranの関数をC++用に書き換えた。確かに書けるんだけど、この数十行で、どうしてdigamma関数が表現出来ているのかはまだ理解してない。