背信の科学者たち

背信の科学者たちを読んだ。

背信の科学者たち―論文捏造、データ改ざんはなぜ繰り返されるのか (ブルーバックス)

背信の科学者たち―論文捏造、データ改ざんはなぜ繰り返されるのか (ブルーバックス)

ねつ造、論文数による評価、業績のボスによる横取りに関する色んな例を挙げられていてためになった。ためになったけど、ちょっと暗い気持ちになる。
イントロで、科学者のねつ造事件に対するコメントをアメリカ科学アカデミーだかのお偉いさんなどに求めた例が紹介されている。「科学には自分で自分をきちんとチェックする機能がある」ようなことを言っていたのには呆れたけれど、「科学研究上の欺瞞について」という理由で呼び出すのも煽っている気がしてどっちもどっちに思える。

ねつ造に関しては、「実験が難しくデータがとりにくく」「金や名誉や政治に近い分野であればあるほど」起きやすいのだと思う。だから普遍的に特にどの分野でねつ造が起きやすいということはない。ニュートンやミリカンの例を見れば分かるように物理でも多かれ少なかれねつ造は行われている。この何十年かに限ると一番起きやすいのがたまたま生物や医学なのだろうとも思う。でも、どうしても「生物や医学でばっかりねつ造が起きているのに、『科学者』とひとくくりにされて物理にもネガティブなイメージがついているような気がしていやだ」と思えてならない。生物も物理も科学だけど、特性は全然違うのではないかな。また、現代の生物や医学にはねつ造が起きやすい環境が整っているのは確かなのかもしれないが、それを作っているのは金や名誉という形で科学をコントロールしている科学以外の人達にもあると思う。「世の中金だよ金」とか言い始めると科学者は奇特でマイナーな集団にすぎないということを確認して嫌になる。

論文数による(妄信的な)評価について。「一つの仕事から何本の論文を生み出せるか」なんて発想が出てくる時点で色々とおかしい気がする。科学者の仕事を評価する機関の名の下に実際に評価を行う人(それが科学者自身だったりするわけだけど)はもっと頑張ってもらいたい。長い目で見たら論文数以上の情報を読み取って評価した方が良いのは自明に思えるんだけど、論文数による判定の簡便さの方が勝っていると思われているのかな。あと、オリジナルに価値があることはいいのだけど、オリジナルに追随する価値あるいくつもの仕事が過小評価されているのではないかと思う。

業績のボスによる横取りは、一人では研究が出来ない分野であればどこでも起こりえることだと思う。横取りも酷いけど、横取りに限らず研究室のボスの横暴は様々な形で表に出ずに今日もどこかで行われているのだろう。広い意味でアカハラは根の深い問題なんだろうな。一般に解決するためにはどうしたらいいのか皆目検討もつかない。