進化しすぎた脳とミクロな一つの状態の意味

最後の方に「『脳には再現性はありません』なんてこと言い出したら…(略)…科学界では元来あってはならない主張なんだよね」という文があって、ちょっと考えたこと。
脳の信号をミクロな信号だとした時*1、取り得る状態数は莫大であり、ミクロな状態に着目をしたときには再現性の無い物だと思える。でもだからといって「科学では再現性があるべき→脳の状態は莫大なのでその一つの状態には再現性がない→脳科学でミクロにやることに意味はあるのかor脳科学は果たして科学か」のようにフィードバックをかけようとするなら、それは行き過ぎだと思う*2
還元主義という考え方が有る。還元主義のきっかけはデカルトWikipediaから引用すると
還元主義を生むきっかけとなった考え方は、デカルトにより1637年に刊行された『方法序説』の第5部において提示された。デカルトは、世界を機械に譬え、世界は時計仕掛けのようであり、部品をひとつひとつ個別に研究した上で、最後に全体を大きな構図で見れば機械が理解できるように、世界も分かるだろう、という主旨のことを述べた。(ただし、デカルト自身は、正しく理解するためにはひとつたりとも要素を脱落させてはいけない、といった主旨のことも他のくだりで述べていることに注意する必要がある。)
である*3。このやり方は結構上手く行ったのだけど、でも、統合するのを忘れて還元するだけ還元して全体に引き戻すのを忘れたが故の失敗がいくつもあったため、その反省として*4全体主義なんて考え方が見直されて来た*5
確かに還元するだけではナンセンス。ミクロな状態を一つ見た所で再現性も無ければ意味を見いだすのも難しい。原子レベルまでばらした時にミクロな配置に厳密な再現性は無いだろう。でもだからといって、ミクロな配置に再現性が無いからといってマクロなレベルでも再現性は無いかと言われればそんなわけはないし、再現性が無いならミクロな配置を考える意味が無いかと言われればそうでもない。マクロな物理は熱力学で記述できるけど、熱力学が適応されるような、実際に測定する量には再現性が認められる。ミクロな配置を考える意味に関しては、原子レベルまでばらしたミクロな状態から統計力学を用いて分配関数を計算し、ボルツマンの関係式を用いれば分配関数と熱力学の自由エネルギーの間に関係を見いだすことが出来る。この場合、統合する部分を統計力学が担っている。
脳の働きを調べるため、神経細胞の電位などを調べるのは良い方法だと思う。脳の状態数が莫大であるが故の非再現性があるのは確かだけど、それはミクロな状態一つを見ているからそう見えるだけであって、それをもう少しマクロに粗視化して*6適切な量を見れば、きちんと再現性があるはず。妙にミクロな所を見て勝手に再現性が無いというのは言葉の使い方として何だか適切ではないと思う。そこまでミクロに見ればそりゃあその状態自体には再現性は無いですよ。
脳のミクロな状態からマクロな性質(感情や意識・無意識を含む)を導くような統計力学は出来てないし、そもそも脳の熱力学だってできてない*7。分からないことだらけなんだけど、だからこそまずはきちんと還元してミクロな部分について探る…というのは良いはずだ。これらの分野も面白そうなんだけど…とりあえず自分は今は物理をやりたい。

*1:神経細胞の部分部分の電位とレセプター部分の神経伝達物質の量で状態が指定し、電位の波と神経伝達物質が信号として伝わると考える。

*2:ちょっと細かい表現を勘違いしてるかもしれないけど、可能性の一つとして。繰り返すけども、「進化しすぎた脳」は面白い本だった。

*3:このように、還元主義の元々の意味は「要素に還元してその構造を見てから、全体を見て理解を深める」だったはずだけど、そう認識している人はどれくらいいるのだろう。

*4:反省しすぎて、還元主義というと還元するだけ還元して統合するのを忘れるもの…というイメージが定着しているように思える。

*5:「全体」が重要であるのは、物理だったら"More is different"や「創発」で象徴されるようなマクロな性質。

*6:この、もう少しマクロ、とか、粗視化という考え方は物理じゃない人にはあまり持たれないものだろうか?単純にミクロな所からマクロな所までをいくつもの階層に分けて考えて、ミクロな方をぼやかして少しマクロな階層に結びつけるというだけなんだけども。

*7:脳は非平衡状態にあるだろうけど、そもそも物理で非平衡の熱力学だって完成していない。