春分の日

この数日のポスター準備に結構疲れているのでしばし休息。駄目だしされては議論して、修正しては駄目だしされて。慣れない事に慣れる過程というのはいつもこんなもんだ。夏の時点で自分に決定的に足りなかったものは、一言で言ったらプレゼンテーション能力…となってしまって自分でも萎えるのだけど、でもそうなんだ。
特に何が駄目だったかというと、

  • 「知識が不足しているが故に説明できない」
  • 「きちんと知識が足りている場合でも、相手に伝えるために単純化して『ぼかした』表現を用いて説得力を持たせるというのが性に合わない」

という二点。前者は十分に経験を積めば知識も蓄積されるだろうからまぁ良いとする。後者は性格的なものなので、きちんと克服するのには意識的に努力をしないと駄目だろう。チューターとして教えている時には相手が高校生ということもあって、そして教える内容についても自分自身きちんと理解していると思えるから、噛み砕いた表現で説明出来ていると思う。ぼかして誤摩化しているとは思っているけど、でも本質から離れないで言葉を選べていると信じている。本質をついた表現を用いるのはどんなレベルでも重要で*1、結局の所、相手が物理学者や物理の院生であっても、高校生に対してチューターとして振る舞う時と同じ事をやらなければいけない、出来なければいけないのだろうと最近少しずつ思い始めた。どんな分野についてもそれが出来たら超が付くほどの化け物だけど、自分の専門に関してはそうあるべきだ。多分。そう考えると、専門という二文字は中々に重い。自分の理想像は(多分少なくとも四、五個の)高い山の向こう側にあるのだと思う。まずは、山を一個超えて「その話だったら彼に聞けば良いよ」と言われるようにならないと。
あと10日ちょい経ったら「まだM1だから」なんて言い訳は(自分でした事は無いけど)もう許されない。「まぁM2ですからね」と言えるように*2

*1:情報を粗視化してユニバーサルな部分を抽出するとでも言えば良いか

*2:何かいやみたらしく聞こえそうな上に妙に滑稽だから言う気は無いが