魍魎の匣

魍魎の匣読了。

文庫版 魍魎の匣 (講談社文庫)

文庫版 魍魎の匣 (講談社文庫)

京極堂シリーズの二作目。
一般に推理小説なんて言うと思い浮かぶのは、やれ密室だとか山荘だとか館だとか、そういう閉じられた系で発生したイベントの部分から全体を推理する探偵役がいて、イベントの全体像を解き明かす…といったものだろうか。事件、それも往々にして殺人事件が起こり、でも誰がどのように何故やったかは分からない。そこで探偵が登場して誰がどのように何故やったかを暴いていく。誰がやったのかは明らかであるがどのようにやったのかは分からないからそれを解き明かす探偵や、どのようにやったのかは自明だがそれに至る動機が分からないからそれを調べる探偵などがいる。前者はトリック重視の本格派で後者は社会派ミステリだろうか。
この魍魎の匣は、自分がこういう小説に慣れているからかどうかは分からないけれど、誰がどのように何故やったのかまでが読んでいて自然に分かってしまう。それでも面白く読むことができるのは、この本が普通の推理小説とは違う形式の小説だからだと思う。京極の小説では事件や謎と言ったものは閉じられた狭い系では決して起きず、しかも一個だけではなく複数の謎が押し寄せてくるかのごとくに起きるからだと思う。それも、順番に何個も起きるというよりは同時進行でいくつも起きる。言うならば多体系の問題。それは当然のように難しく、各々を見ていても全貌は見えてこない。探偵役が悩んで悩んで「分かりませんでした」なんていうミステリもそれはそれで一興なのかもしれないが、あまり好ましく無い…というか僕は読みたく無い。そこは流石に都合良く出来ていて、各々の謎にはそれが必然か偶然かは別にしたとしても繋がる部分がきちんとあり、そしてその繋がりには対応するような蘊蓄がある。ともあれ偶然のおかげで複数の謎は一つの大きな謎になり、その謎には姑獲鳥の時と同様に名前がつけられる。魍魎だ。
魍魎が何であるかについては作中で色々と語られるが、魍魎そのものについて具体的に納得出来るようなコメントはなされない。何より、作中で語る京極堂自身が納得しているようには思われない。しかし、事件と登場人物達の物語は魍魎についてのあるレベル以上の説明がなされなければ終わらない。結局、匣をキーとすることで事件は一応の収束を見せるのだが、「魍魎とは何か」ということを語ろうと思っても上手く語ることは出来ない気がする。適当に比喩をしようとすれば色々と思いつくことはあるけれど、どれも上手い説明にならない。
何か言及するとしたら魍魎についてではなくて、それぞれの謎を繋ぐ偶然の裏にある蘊蓄についてだと思う。姑獲鳥では量子力学についてだろうが、魍魎では色々な話題が取り上げられる。あまりに沢山あるので全てを思い出すことは出来ないが、自分が考えたことを思いっきり意訳してつらつらと書き残しておく。

  • 中身が無いとき、その中身を規定する名前。名前や言葉といったものは全てでは無いが、名前は無ければ困る。
  • 動機付けや理由付けなどと言ったものの無意味さ。後から理由を付けてもしょうがなくて、実際そのイベントが起きたときにはただ偶然があっただけかもしれない。
  • 固定した視点から物事を無理矢理見ようとすると対象をねじ曲げてしまうということ。対象をねじ曲げないような可変的な視点が存在するかどうかはまた別の話。
  • 如何に論理が正しく筋が通っていたとしても、それは所詮筋が通っているだけということ。論理的に正しい二つのものが両立するとは限らない。