devotion of the suspect

容疑者Xの献身を見て来た。普段は映画は見ないのだけど、とても間接的に関わっているからチケット代を出してもらえるというので。続きを読む以降はネタばれ的なので注意。
正直、トリックとかはあまり大した物とは思わないし、台本的なものも読んでしまっているので、話を見に行くというよりは、どのような動画になっているのかを見て来た。たとえば、講義のシーンの話している内容とか、板書の内容とか、途中で院生がやっている実験とか、舞台になってる大学とか、石神の本棚の本とか、スクリーンセーバとか、そういったものを中心に見て来た。
この作品は論理的/合理的であることが一つのキーワードになっている*1。主人公は講義で論理的であることとは何かを述べているし、捜査官の勘のようなものには皮肉っぽいメッセージも投げかけている。謎が出てくるたびに繰り返される「あり得ない…」というのは象徴的な台詞の一つだろう。
最後の石神が言葉にならない叫びとともに泣き崩れるシーンがある。石神としては警察に捕まって不幸になる人数が最低になるのが論理的/合理的に最適な解であり、助けたい人がいるから自分一人が捕まるのが良いと考えた。また、捕まる人数が最低になるのが合理的であるというのは靖子にとっても同じであると思っていた。それは考えるまでもなく、そんなことは(合理的に考える人間にとっては)当たり前のこと。考えるまでもないことだから、考えていた、というよりは、思っていた、というべきだろう。だからこその「どうして…」という言葉が出てくる。靖子が「私も償います」などというのは合理的に考えれば「あり得ない」ことだから。合理性の固まりである石神には理解できない。
でも、石神は泣き叫びながらそれを理解しかけようとしていたのだと想像する。石神が真に合理性のみから出来ている人間なら理解は出来なかっただろうけど、でも、彼はもう愛するということを知っていまっているから。冒頭で内海が「論理だけでは解決できないこともあります」「たとえばアイ*2です」と言っているように、論理や合理と対極に愛が置かれている。「私も償う」という発想は少なくとも合理的にはあり得ない。それは愛を知ることによって初めて分かるものだ。だから、合理性の固まりである石神には理解は出来ないが、愛を知っているがために理解をしかけている。
しかし、理解をしかけていても、石神にはその不合理な判断を受け入れることが出来なかったのだろうと想像する。石神はどう転んでもやはり合理性の塊だから、不合理なものを取り込むことに本質的に抵抗を持っているのだと思う。だから、「『私も償う』なんて合理的には理解できない→でも愛的観点からは理解が出来そうで、一人でなくなることはなんと言えば良いのだろう、嬉しいと表現してよいものだろうか、そのようなプラスのようなものであると感じる。→でもそれを受け入れてしまったら、自分の本質である合理性が脅かされてしまう」という流れが出来て、受け入れたい自分と脅かされたく無いという自分がぶつかりあって、愛と合理の間でどうすればいいのか分からなくなる。分からなくなるから、まるで一種の臨界状態のように激しく、叫び、泣く。
石神はあのあとどうなったんだろう。それまでの自分を捨てて愛を知った新しい自分へと落ち着くのか、それとも結局は合理性の塊であるもとの自分へと落ち着くのか(そして絶望した世界に別れを告げる?)、それともどちらでもない臨界状態を取り続けるのか*3*4。個人的には臨界状態を取り続けて狂人になってしまうと思う。それは悲しいとは思うけど、でも合理性の塊の数学者である石神にそうあって欲しいと思うのは…理解してもらえるだろうか。

*1:これは言い切ってしまって良いと思う。少なくとも作成の過程でそのような意図の元で板書を作ってくれという依頼があったことを知っているから。また、ここでは論理的と合理的をほとんど同じ意味で使い分けて書いているし、辞書的な意味とは少し意味がずれていると思う。

*2:それに対して湯川、「たとえば次のような2次方程式を考えよう。ax^2+bx+c=i だ。これは解けるか?」………解けると思うんですけど。あ、そういや「アイがあるからユニタリー」と今はもう異動してしまった某先生が言っていたのを思い出した。

*3:本当にベストな選択肢はここに提示していないものだと思うが、少なくとも石神がほとんど合理性の塊で有り続けるうちはこれら以外の選択肢は見えてこないと思う。

*4:気づいている人には分かると思うけども、イメージとしてはくりこみというか固定点的なイメージ。石神ははじめは合理性の固定点にいたわけだけど、愛という摂動によって動き始めてしまった。愛はrelevantだったわけだ。でも、単純に流れて行くわけではなかった。石神を安定な合理性の塊たらしめていた世界観的な力があり、それと競合した結果、TLLみたいな臨界状態が出来てしまった。合理と愛の間でSU(2)みたいな対称性がぎりぎりできちゃったんだと思う。世間ではやぶれるのが流行っているのに(笑)